医師の鑑
患者や家族に寄り添うことの大切さ
退院に向けて(関係者でのミーティング)
退院に向けて(オムツ交換について学ぶ)
退院に向けて(口腔ケアについて学ぶ)
退院に向けて(体位変換について学ぶ)
退院に向けて(痰の吸引について学ぶ)
退院に向けて(経鼻栄養の注入について学ぶ)
退院に向けて
季節は変わり、桜から新緑へ
誤嚥性肺炎(嚥下訓練)
誤嚥性肺炎(治療)
延命措置について
入院時に延命措置を希望するか否かについて意思決定する必要があったが、医師の言葉を受け、家族の間では延命措置は希望しないという結論に至った。また口から栄養摂取をすることができない父に対して、今後経鼻チューブや胃ろうなどによる栄養摂取も希望しない旨を伝えた。延命措置をしない、栄養摂取をしないというと、父を見殺しにする何とも残酷な選択じゃないかと思うかもしれない。でも私たちなりに悩みに悩んで出した結論だった。
延命措置を希望するか否かに正しい答えはない。残りの人生を太く短く生きるか、細く長く生きるか、それは人それぞれの価値観や哲学によるものだからだ。もちろん私たちだって、できることなら1日でも長く父との時間を過ごしたいし、長生きして欲しいと思っている。でもそれは私たちのエゴなのかもしれないと思うようになった。
延命措置として心臓マッサージをすることで、肋骨が折れることもあるそうだ。治療の結果、元気だった頃の父に戻れるのであれば、もちろん何とか延命し、より長生きしてほしいと思う。でも、もう認知症が治るわけでも、寝たきり状態から起き上がることができるわけでも、食事を楽しむことができるわけでもない。そんな状態にあって、これ以上痛い思いや苦痛を強いてまで、生きながらえることを果たして父は望むだろうか?
口からの栄養摂取が困難な場合、経鼻チューブや胃ろうなどによる栄養摂取も可能である。父の場合も、鼻から管をいれたり、胃に穴をあけて無理やり栄養を摂取することで、栄養状態が維持され生きながらえることはできる。でも、そん風に体をチューブでつながれた不自然な状態で、無理やり「生かされている」状態で、父は幸せだろうか?
そんな疑問が私たちの頭の中をグルグルと周り続けた。本当に答えの出ない問いだ。父はもはや言葉を発することができず、自分の思いや意思を伝えることはできない。でも苦しい時、痛い時は、ぎゅっと眉間にしわをよせる。その表情を見ていると、「もうやめてくれ」と言っているようにしか見えない。私たちがどうしたいかではなく、父ならどうしたいかという視点で考えると、自ずと答えは出てきた。父はそんな延命措置なんて望まないだろう。
これが私たち家族が出した結論だった。
誤嚥性肺炎(発症から入院まで)
写真はちょうど父が入院した頃に撮ったもの。
施設に入っていた父が入院することになったのは、誤嚥性肺炎を患ったためである。
誤嚥性肺炎とは、食べ物や飲み物、唾液等をゴクンと飲みこむ動作(嚥下機能)が低下することで、本来食道から胃に送られるはずの物が気管に入ってしまい、その結果細菌が肺に入ってしまうことで起こる肺炎のこと。高齢者の肺炎の半数以上が誤嚥性肺炎と言われていて、誰にでも起こりうる疾患のようだ。
加齢にともない、歯が抜けることによる咀嚼力の低下、嚥下にかかわる周辺の筋力の衰えなどによって、嚥下機能の低下は誰にでも起こることのようだけれども、特に認知症を患う人は、次第に食べる量が減り食べなくなったり、食べ物を認知できなくなるようで、そういったこともあり嚥下障がいを起こすリスクは高いようだ。
父の場合も今年の3月末より10日程、咳、発熱に加え、喉がゴロゴロなるようになり、痰の量が増えていて、施設の方も、症状から察するにおそらく誤嚥性肺炎ではないかと仰っていた。そのため病院で検査をしてもらったところ、レントゲンにうつる片方の肺が真っ白だった。誤嚥性肺炎の可能性が高いことが判明し、即入院となった。
思い返すと、施設に入る前は、自宅で普通のご飯(少し柔らかめの物)を食べていたものの、施設に入ってからは、食べるとむせるということが増え、次第に刻み食→とろみ食に代わり、年明け以降はほぼペースト食(全てがスムージーのような形状)になっていた。なので、嚥下機能は徐々に低下し、飲み込むことが困難な状態になっていたのだと思われる。
また父が入っていた施設は医療行為は一切できない施設であったため、痰が増えても吸引することはできないし、むせるからといって栄養を口以外から摂取(経鼻チューブや胃ろうによる栄養摂取)することもできないため、結局誤嚥していることが分かっていても、口から食べさせるより他なかったそうだ。おそらくこうしたことのつみ重ねによって、誤嚥を繰り返し、肺炎を発症するに至ったのだと思われる。
そんなこんなで4月の初旬に、総合病院に入院し、肺炎の治療を開始することとなった。
はじめに
写真はちょうど父が入院した頃に撮ったもの。
父は83才。アルツハイマー型認知症を患い、現在は要介護5の寝たきりの状態。
認知症発症後も自宅で介護にあたっていたものの、しだいに家族の負担も増し、1年4ヶ月前に施設に入所するも、4ヶ月前に誤嚥性肺炎のため、入院。主治医からは老衰の末期状態で、もうながくないと伝えられる。
肺炎治療後の選択肢として、看取り専門の病院への転院を提示されるも、最期は住み慣れた自宅で、家族とともにゆっくり過ごしたいとの私たちの強い思いから、自宅での看取りを希望する。
そんなこんなで、2ヶ月の入院期間を経て、家族での父の介護・看護生活がスタート。施設に入る前は、歩くことも、自力で食べることもできていた父。今では身体を動かすこともできず、全ての行動において介助が必要な状況。いわゆる寝たきりの父の介護は私たちにとっても初めての経験。
医師、看護師、ケアーマネージャーさん、ヘルパーさん、その他様々方のサポートのおかげで、私たちも日々学びながら、介護にあたっている。
この超高齢化社会において、高齢者福祉をめぐる状況は増々厳しいものとなり、国も在宅介護を勧める方向に向かう中、きっと私たちのように何も分からず、介護にあたらなければならない人が今後増えてくるはず。
少しでも私たちの経験や私たちが得た知識を、同様の状況にある方々にシェアし、役に立てればという思いで、ブログをはじめることに。
笑いあり、涙あり(?)な母と3人の娘による介護生活を紹介していきたいなと思う。