認知症の父の在宅介護記録

アルツハイマー型認知症(要介護5)を患う父の在宅介護の記録

医師の鑑

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これまでプライベートでも、仕事でも様々な医療機関で、数多くの医師と接してきたが、医師も十人十色だと実感している。
 
今回、父の担当をしてくださった医師・A先生は今まで巡り合った医師の中でも、群を抜く素晴らしい方で、まさに医師の鑑と言える方であった。医師たるもの高い専門性や治療技術を有していることは必須条件だが、そこから先の違いは何かを考えると、一言でいうと「人となり」ではないかと思う。言葉にするととても陳腐だが、患者や家族への思いやりとか寄り添う気持ちがあるかどうか、そういったものを患者や家族が感じられるかどうか。こうしたことが良い医師とそうではない医師の差となるのではないかと個人的に感じている(あくまでも私にとっての良い医師の定義である)。そして私にとっては、この「人となり」が、医師との信頼関係を築くことができるかどうかの重要なポイントになる。それでは一体何をもって「人となり」を判断するのかというと、患者や家族と話をする際の態度・表情・話し方などからみえる「人がら」なのだと思う。
 
今回父の件を通して実感したことだが、同じ「口から食べられないということ=もう寿命である」という事実一つとっても、施設職員の心無い態度で言われた時、私たちは不信感と憤りを感じたが、A先生から言われた時には、きちんと納得することができた。これはA先生が、私たちの気持ちに配慮しつつ慎重に言葉を選んでくださっていたこと、素人にも分かるように丁寧な説明をしてくださっていたことが大きい。
 
A先生もはっきり仰っていたが、父の状況で自宅療養という選択は普通はしないし、させないようだ。だけれども私たちがこの無謀な挑戦をしようとしていたため、父の病状と同じくらい、私たちのことも心配してくださっていたようだ。父が長生きすることは喜ばしい反面、家族の負担が増大し私たちが潰れてしまうのではないかと懸念されていた。医師の責務は退院させるところまでだろうに、その先のことまで私たちと同じ目線で頭を悩ませてくださっていたA先生。もう頭があがりません。
 
ということで、今日はA先生の「さすがだなあ」と思わされたエピソードを紹介して、医師たるものこうあって欲しいなあという私の勝手な願望をお伝えしようと思う。
 
・録音にも嫌な顔一つしない
私には遠方に住む姉(長女)がいるのだが、医師から聞いた話しをすべて正しく伝えることは難しいので、大事な話の時はいつも録音をして、録音データを姉とも共有している。もちろん医師には事前に意図を説明し許可を得るが、人によってはあまり快く思わない人もいる。だけれどもA先生は、「全く問題ないですよー」といつも笑顔で快諾してくれていた。
 
・いつも気さくに声をかけてくださる
私と姉(次女)は基本的に、毎日父のお見舞いに病院へ通っていた。A先生もそのことはご存知で、時折病室に様子を見にきてくださり、「毎日おつかれさまです」と声をかけてくださった。いやいやそれは私たちのセリフですよ先生と思いつつ。。。またこちらが尋ねなくても、父の病状や治療経過と今後の見通し等についていつも丁寧に説明をしてくれた。
 
・経済的負担への配慮
経管栄養の栄養剤も色々な種類がある。食品扱いのものもあれば、医薬品扱いのものもある。食品の場合は全額負担となるが、医薬品の場合は保険がきくため、父の場合は1割負担で購入可能だ。A先生は退院後の経済的な負担を考慮し、途中から医薬品扱いの栄養剤に変更してくれたようだ。ありがたい。
 
・要介護度の引き上げの提案
退院前のミーティング時に先生が要介護度引き上げの提案をしてくださった。入院当初、父は要介護4であったが、もう状態としては要介護5に相当するので、要介護5の申請をしましょうと。それ以前に、私たちも同様のことをケアマネさんに相談したことがあったが、手続きの煩雑さゆえか、やんわり断られたことがあった。ところが、A先生が提案してくださったことが後押しとなり、ケアマネさんもすぐに申請してくださった。結果、すぐに要介護5の認定を受けることができた。要介護度があがることで、介護保険を利用できる金額も増えるため、これはとても有難い。医師にとっては退院後のことは知ったこっちゃないことだと思うのだが、そこまで気づかっていただけるとは本当にこちらが恐縮してしまう。
 
・分厚いサマリー
父の退院時、往診の医師への引き継ぎとして作成してくださったサマリーが、封筒がとじないくらい(無理やりのり付けしていただ)パンパンに分厚いもので、ビックリした。きっと先生のことだから、とても丁寧に細かく記載してくれていたのだと思われる。(私たちは中身は見ていないので想像でしかないが)
 
・父のお見送り
退院時、A先生はエントランスまでお見送りにきてくださったが、なんと車が見えなくなるまで見送ってくださっていたそうだ。たまたま時間があっただけで、いつもそんなことをしているわけではないかもしれない。それでも、父のことをそんな風に見送ってくださった、その温かさにじーんときた。
 
とまあ、A先生はこんな方です。多少なりともA先生の姿を想像し、共感していただけたら、嬉しいです。そして、日々忙しい医師にA先生ほどのことを求める気はありませんが、でも根本の部分の「思いやり」とか「寄り添う姿勢」は持っていただきたいなあと思うのです。

患者や家族に寄り添うことの大切さ

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父の命がもう長くないということをはじめて知ったのは、3月末に施設で体調をこわした時のことだった。

 

咳と微熱が数日続いていたのだが、施設の職員の1人が、父もいる部屋の中でおもむろに「で、看取りはどうされますか」と母と姉に尋ねてきたらしい。単に体調を少し壊している程度だと思っていた母と姉は、何のことを話しているのか全く理解できず、目が点になったようだ。
 
この時点で父は医師の診察は受けていなかったが、施設職員から施設の運営母体であるクリニックの医師に対し病状の説明はなされており、医師から薬の処方はされていたそうだ。施設の職員としては、父の状況からおそらく誤嚥性肺炎であろうという見立てがあったのだと思われる。
 
だが、この看取りに関する質問をされた際、私たちにはまだ父がどういう状況なのか、職員からも医師からもきちんと説明がなされていなかった。そんな状況でいきなり看取りをどうするかと尋ねてきた職員の態度に、私たちが不信感を抱いてしまったのは当然のことだ。
 
本来であれば
1.現在の病状に関する説明
2.治療に関する今後の見通し
3.看取りに関するオプションの検討
という三段階で、話をすべきなのに、この1と2をすっ飛ばして、いきなり3についてふられたのだから、そりゃビックリする。
 
さらにその時、「まあ、もう治療をしたところでねえ。。。」と暗にもうこのまま楽にさせてあげようと言われたそうだ。この言葉が私たちの不信感をさらに強めたのは言うまでもない。
 
日々、高齢者のお世話をされている施設の方にとっては、入所者の死というのは日常茶飯のことだろう。彼らにとって父の死は、日々直面する数多くの死の一つに過ぎない。でも、私たちにとっては唯一無二の家族の死である。この応対はあまりにも無神経ではないかと、私たちは少なからず怒りを感じた。
 
こうした気分を害するコミュニケーションがあったこともあり、私たちはちゃんとした医療施設で父の治療をしたいと思うようになり、施設の方がしぶっていた受診を強くお願いし、入院するに至ったのである。
 
だけれども、結局クリニックの医師も、入院先の医師も、ほぼ同様のことを言っていた。
 
・口から食べることができない=寿命がつきる時期にきている
・こういう状態にある高齢者に対して治療を施すことはどうなのか?
・チューブに繋がれ無理やり生かされることが本人のためになるのか?
こうしたことを、やんわりと言われた。
 
今振り返ってみると、あの時のあの施設の職員の方の言葉は、間違ってはいなかったと思う。でももう少し私たち家族に対する配慮がある言葉で語られていたら、私たちは、「施設で看取りまでお願いします」と答えていたかもしれない。いや多分、そう答えていたと思う。
 
この間、2ヶ月間の苦痛を伴う治療の過程で、私たちは何度も何度も、「これで良かったのだろうか?」「あの時の決断は正しかったのだろうか?」という問いを自身に投げかけ続けていた。今もそうだ。そしてその答えは分からないままだ。
 
だけれども、どういう選択を取ったかということは別にして、施設の方々にお願いしたい。入所者の命をぞんざいに扱わないで欲しいし、家族の気持ちに寄り添う対応をして欲しいと。
 
介護施設という現場は時に入所者によるハラスメントや暴力も起こり、とても過酷な労働環境であるということも、施設職員の仕事が心身ともにとてもきつい重労働であることも理解しているつもりだ。でもそれとこれとは別で、命を終える時を迎えるということは、入所者・家族双方にとって、とても重要な意味をもつということを心に留めて、接して欲しいと強く強く思う。
 
最期の時をみんなが納得し、後悔なく過ごすことができるように。

退院に向けて(関係者でのミーティング)

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3月末より肺炎の症状が出てた父、4月5日に施設の運営母体であるクリニックを受診し、その日のうちに総合病院に入院。医師・看護師による献身的な治療、言語聴覚士によるリハビリを受け、約2ヶ月の入院期間を経て、6月6日に退院することとなった。
 
入院当初はもう余命いくばくかと言われていたため、父が帰宅することができる日がくるとは想像もしていなかった。入院期間中も、退院の目途がたつにしたがい、退院後のオプションについて医師と何度か話し合いを行った。医師としては、この状態で帰宅するケースはほとんどないし、お勧めしないとのことだった。大半のケースは、看取り専門の病院への転院となるそうだ。けれども、最期は家族みんなで住み慣れた自宅で、ゆっくり過ごしたいとの私たちの強い希望により、医師も私たちの希望を受入れてくださった。
 
退院に向けた医療行為や介助に関する指導もめどがたち、5月末に関係者でのミーティングが行われた。このミーティングは医師、看護師、言語聴覚士、病院の地域連携担当職員、ケアーマネージャー、往診担当の看護師、訪問看護師、訪問ヘルパー、福祉用具レンタル業者の担当者、と私たち家族と総勢12名が参加した。転院であれば、看護師が私たちに手とり足取り行う手技の指導や、多くの方が時間を割いて参加したミーティングも必要ないことを考えると、在宅療養という選択肢は、本当に多くの方々のサポートの上に成り立つことであることを実感する。
 
このミーティングでは、医師、看護師、言語聴覚士から、父の病状と治療後の経過等についての説明がなされ、在宅療養におけるサポート体制、医療行為、医療・福祉用具などについての意見交換がなされた。
 
私たちが一番懸念していたことは、1.SPO2モニターの必要性、2.栄養注入ポンプの必要性、3.入浴の可否の3点だったが、この点もクリアになった。
 
1.SPO2モニターについて
病院ではSPO2(血中の酸素量)を常時はかっていて、その値が下がるとアラームがなっていた。普段はゴロゴロいう音やSPO2の値を目安に痰の吸引をするわけだが、「もし父が呼吸困難になっているにも関わらず、それに気づくことができなかったらどうしよう」と心配していた私たち。SPO2の値が下がった時にアラームがなる仕組みだと、寝ていてもすぐに目覚めることができるので、アラームがなるモニターを入手できないか?と事前に相談していた。ただ医師や看護師からは、アラームがなる度に起こされることが家族にとってもストレスとなる可能性があるので、アラーム付モニターを使用することはあまりお勧めしないと言われた。またこのモニターはレンタルはなく、購入のみで、金額も10万円近くと高額になることもあり、モニターは諦め、指にはさむことでSPO2を測るパルスオキシメーター(7000円程)を購入することにした。実際に自宅で父の介護を始めると、何のこっちゃないパルスキシメーターで十分である。今思うと、まったく私たちは素人のくせに何を言ってるんだかと笑ってしまうけれども、当時は真剣に悩んでいたのだ。。。
 
2.栄養注入ポンプについて
帰宅後にそなえて、医師がこれまでの栄養剤から保険適用となる栄養剤(エネーボ)に変更してくださったのだが、エネーボにしてから、頻繁に滴下がストップするようになった。高カロリーな液体なので、サラサラではなく、滴下の調整が難しいようだった。ひどいときは開始10分後にはストップし、調整後またしばらくするとストップするといった具合。頻繁にストップすると、その都度調整する必要があるが、私たちはいつも注入中につきっきりで居ることはできないため、このことに頭を悩ませていた。以前の栄養剤の時は、栄養を一定のスピードで滴下するために、滴下をコントロールするポンプを使用していたので、そのポンプを自宅でも使用することが可能か聞いてみた。がこれまた購入にコストがかかるため、ポンプ使用以外の方法を試してみるということになっていた。水で薄めて注入する、滴下ではなくシリンジで注入する、最悪の場合は栄養剤を変更するetc... がしかし、これも問題解決。なんと、注入前に缶をよく振れば良いという、シンプルな解決方法だった。。。ポンプ購入まで考えていたのが笑えてしまう。。。
 
3.入浴について
父はお風呂が大好きだったが、入院期間中は体調との兼ね合いもあり、数回ミスト浴をしていただいた程度で、久しく入浴していなかった。これから暑くなるため、できればお風呂に入れてあげたいと思っていた。体調面を考慮して、果たして入浴が可能なのか心配だったのだが、医師からは発熱時以外は入浴もOKと言われ、ほっとする。また入浴については別の機会に詳しく書くものの、訪問入浴というサービスの有難さを実感している。
 
あと、このミーティング時に新たに分かったことがある。それは障がい者の認定を受けることで、痰の吸引器購入にかかる費用について一部補助を受けることができるということ。父の場合、もう全く動くことができないため、肢体不自由で障がい者の申請をすることができるのではないかということ。痰の吸引器は絶対に必要なものだが、購入・レンタルといずれでも入手可能。購入の場合、機種にもよるが40,000円~70,000円程度。レンタル料は月5,000円程であるが、チューブ等の消耗品(約10,000円)は別途購入が必要。となると使用期間によっては購入した方が良いものの、やはり高額。こうした公的な補助があることは本当にありがたい。そしてこうした情報はもちろん私たちは把握していなかったので、専門の方からの助言により有益な情報を得ることができ、とても助かった。
 

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その他、必要な医療・福祉用具についても購入すべきもの、レンタルすべきものがクリアになったので、順次手配していくことになった。いざ帰宅となった際に、部屋をどうレイアウトし、何をどの程度そろえるべきか等、全く分からなかったものの、各分野の専門の方々に助言をいただき、情報を整理することができて、頭の中のモヤモヤが吹き飛んでいった。あとは自宅の居室を準備して、父の帰りを待つのみ。退院が待ち遠しい。

退院に向けて(オムツ交換について学ぶ)

寝たきりで、全ての行動に介助が必要な父。オムツ交換にもスキルが必要。オムツ交換は病院で看護師さんより指導していただいたものの、状況に応じた工夫等は退院後ヘルパーさんからも色々教えていただいた。何度も体位変換することなく、手際よく行うことができるようになるまでは、けっこう時間がかかった。なのでこれも備忘のためにメモメモ。
 
ちなみに男性と女性では、洗浄方法等も異なるが、私たちは父の介護しかしていないため、女性のオムツ交換については触れません。
 
オムツ交換といっても、高齢者の場合は、赤ちゃんのオムツ交換のように、毎回オムツを交換するわけではない。そもそも高齢者用のオムツは金額も高い!我が家はAmazonで定期購入しているが26枚入りで約2,300円(1枚あたり88円)。ちなみに私には1才の娘がいるが、娘のオムツは76枚入りで約1,500円(1枚あたり19円)。。。
 
高齢者の場合は、オムツの上に尿とりパッドを敷き、さらに男性の場合は男性器にもパッドを巻くので、そうそうオムツは汚れない。なので通常おしっこだけの場合は、巻いているパッドを交換するのみ。敷いているパッドは1日に1~2回、オムツは3~4日に1回程度の頻度で交換する。巻いているパッドや、敷いているパッドを交換するのは易しいものの、オムツを交換するのはちょっとした工夫が必要になる。特にひどい下痢の場合等は、1人じゃとうてい出来ないこともしばしば。
 
ということで、今回はこのオムツ交換についてのメモ。
 
1.必要なもの
・手袋
・テッィシュ / おしり拭き
・タオル
・陰部を洗浄するためのお湯(ペットボトルの蓋に数ヶ所穴をあけた物)
・ボディソープ
・新しいオムツ、パッド2枚(敷く用&巻く用)
 
2.オムツ交換の手順
・新しいオムツ&敷パッドを重ねてセッティング
・汚れたオムツのテープを外す
・ボディソープを泡立てて、陰部を洗浄し、お湯で流す
・身体を横向きにして、おしりを洗浄し、お湯で流す
(汚れが少ない場合は、ティッシュやおしり拭きでの拭き取りでもOK)
・濡れた部分をタオルで拭く
・新しいオムツをする
 →汚れたオムツを半分折り、その下に新しいオムツ(&敷パッド)を半分入れる
 →身体を体位変換して、汚れたオムツを取る
 →新しいオムツ(&敷パッド)を引っ張り、左右対称の位置になるように整える
 →仰向けに寝た状態で、パッド・オムツを脚の間から引っ張り、テープでとめる
 →ギャザーがちゃんと出ているか確認
・オムツ交換後、パジャマのしわ、シーツのしわをしっかり伸ばす
(このしわが原因で床ずれになる場合もある)
・おしりや腰に床ずれがないか要チェック
(赤くなっている時は薬やワセリンを塗る)
 
この手順、言葉で説明しても分かりにくいので、百聞は一見にしかず。説明動画を見ることをお勧めする。
 
3.オムツ交換のポイント
・陰部を触られることが嫌で、抵抗して手を払いのけようとする場合などは腕を組んだ状態で、上からバスタオルをかけ、端を下に折り込むことで、一時的に手の動きを抑えあることができる。
 
・何度も何度も体位変換すると、本人もしんどいので、できるだけ体位変換の回数を減らすべく、オムツ交換と同時にパジャマやシーツのしわとりもする。
 
・下痢の場合等、オムツ交換時は身体の下に45lのゴミ袋やビニールシート等を敷くことで、シーツへの汚れの付着を予防することができる。
 
オムツ交換。される側は、多かれ少なかれ、羞恥心だったり、不快感を抱く人もいるはず。特に介護者が異性の場合はなおさらのこと。なので、介護する側も、そういった点に配慮をして、少しでもネガティブな気持ちを払拭できるよう、丁寧な対応を心がけるべきだと、毎度嫌がる父を通して思う。
 
 

退院に向けて(口腔ケアについて学ぶ)

高齢者にとって、口腔ケアは単に虫歯や歯周病を予防するためではなく、感染症予防という大きな意味合いをもつ。
 
加齢とともに、歯を失ったり、唾液の量が減ったりと、口腔内も老化していくのは仕方がないこと。でも、こうした老化現象によって、口腔内の細菌が増加し、細菌が肺にたどり着くことで肺炎を発症するとなると、大きな問題。
 
父のように、痰の量が増えている場合、すぐに口の中のいたるところに痰が付着した状態になる。頻繁な口腔ケアでこれを取り除いてあげないと、痰の誤嚥につながり、これもまた肺炎を発症しかねない。
 
高齢者の場合、口腔ケアを怠ることで、肺炎等の命を脅かす病気につながる危険性があるため、これまで以上に念入りに口腔ケアをする必要があるのだ。
 
父の場合、1日3回、鼻からチューブで栄養を注入しているが、口腔ケアは毎回の注入前に行う。口をゆすぐこともできないので、全て介護者が行う。流れはこんな感じ。
 
手元には水の入ったコップ、スポンジブラシ、歯ブラシ、ティッシュを準備する。
 
・上半身を起こす
・手袋をする
・スポンジブラシで舌と口の中を全体的に拭く
・歯ブラシで歯のブラッシング
・もう一度、スポンジブラシで口の中を拭く
 
スポンジブラシで拭く際、水にひたし、スポンジブラシを湿らす。水を含んだ状態だと、その水分を誤嚥する危険性もあるので、スポンジをぎゅーっと絞って水気を取る。さらにティッシュを使って水気を取る。
 
 
この絵がとても分かりやすい。

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さっと一拭きしただけでも、唾液や痰がごっそりとれるので、スポンジブラシをコップの中で洗う。そしてまたスポンジの水気をとって、拭く。これを繰り返す。
 
口から物を食べていなくても、唾液や痰がたまることで、口の中はけっこう汚れる。なので、歯と歯の間なんかも、入念に磨かないといけない。日々の積み重ねが大切だ。

退院に向けて(体位変換について学ぶ)

床ずれという言葉を聞いたことはあったけれども、いまいちどういうことを指すのか分かっていなかった。が寝たきりの父と日々接する中で、ようやくその意味が分かってきた。
 
床ずれは褥瘡(じょくそう)とも呼ばれる。寝たきりの場合、身体が動かせないため、常に同じ場所(骨が出っ張っている所など)が圧迫され、血流が悪くなり、皮膚が赤くなったり、悪化するとただれたりする。ひどい場合は骨が見えるまで穴があいてしまうこともあるそうで、日々の床ずれ予防が大切になる。
 
床ずれ予防策はこちら。
・圧力をうけやすい場所(写真の赤丸部分)にタオルやクッションを敷く
・定期的に体位変換(右半身・左半身を起こしかえる)を行う
・圧力をうけやすい場所が、赤くなっていないかチェックする
 

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入院時の父の体重は36kg。ほぼ皮と骨だけの状態。私たちのように筋肉や脂肪があるわけではないので、体重によって受ける圧力は大きい。なので、骨が出っ張っているところがマットレスに直接当たらないように、タオルやクッション等を敷き、かかる圧力を和らげる必要がある。それでも常に同じ体勢でいると、圧力がかって、その部分は赤くなってくるため、数時間おきに体位変換をしなければならない。
 
床づれ予防として、病院では通常のマットレスの代わりに、エアマットという中に空気が入っているマットレスを使用していた。これはただ空気が入っているだけではなく、空気が定期的に動くことで、身体にかかる圧力を分散してくれるという優れものだ。
 
体位変換はけっこう力のいる作業だ。「体重36kgなんて軽いじゃん!」と思うかもしれないが、自ら身体を動かすことができない父は、介護者のために、ちょっと力を抜いたりということができない。全体重がのしかかると36kgでも、ものすごく重いのだ。なので、身体をちょっと起こす、倒す、向きを変えるなんていう作業でも、かなり腰にくる。腰をかがめて、重い物を持つことで、腰がやられるのと同様、体位変換等をする際は、介護者の手元の位置までベッドの高さをあげた方が良い。
 
毎日のルーティーンワークなので、くれぐれも介護者が身体を痛めないように、注意して行っていかなくてはと思う。
 
 
 

退院に向けて(痰の吸引について学ぶ)

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季節はそろそろ初夏に
普段、痰なんてさほど気にしたことがなかったものの、誤嚥性肺炎をわずらう患者にとって痰は大敵。特に父の場合、入院当初、咳すらできなかったので痰が出ても自分で吐き出すことができなかった。そうなると、ドンドン痰が気管支に貯まって痰づまりを起こしたり(最悪の場合は窒息死してしまう)、痰が肺に行き炎症を起こしたりしてしまう。健康な私たちにとってはぺっと吐き出せばいいだけの痰も、体力の無い老人にとっては命取りになる危険性もある、厄介ものなのだ。
 
なので、痰がたくさん出ているときは、吸引してあげないといけないわけだが、鼻もしくは口から気管にカテーテルを入れるという、考えるだけでも嘔吐反射しそうな行為。看護師の場合は、仕事とわりきってできるけれども、素人が身内に対して行う場合、かなり気持ち的にしんどいものがある。。。なので、痰の吸引練習が一番、気が重かった。
 
痰の吸引の手順はこんな感じ。
 
1.口腔ケア
(口の中が潤って、カテーテルを挿入しやすくなる)
2.手袋をする
3.カテーテルを取り出す
(病院では毎回新しいカテーテルを使用、自宅では1日に1回新しいものに交換)
4.吸引器にカテーテルをつなぐ
5.電源ON→水を吸って吸引できるか確認する
6.鼻または口からカテーテルを挿入し、痰を吸引する
(吸引時間は長くても15秒程。長時間吸引は酸欠を引き起こすことも)
7.吸引後は水を吸って、チューブの中をクリアにする
8.電源OFF
 
父の場合、片方の鼻に経鼻栄養のチューブが入っており、もう片方の鼻はチューブが通りにくかったため、痰の吸引は口から行っていた。
 
入院当初の父は本当に体力が無く、痰の吸引時も無抵抗な状態だったものの、栄養状態が良くなり体力がついてきてからは、不快な吸引に抵抗するようになってきた。カテーテルを入れると、舌でカテーテルを押し出そうとする。そのため、喉の中になかなか入らず、こちらも苦戦してしまった。コツとしては、カテーテルを舌に触れないように、上向きに入れ、弧を描くように喉もとに入れること。そうするとすっと入っていき、気管の方までスルスルと入っていく。
 
痰をひく上でのポイント、注意点はこんな感じ。
・痰がなかなか引けない時は、枕を外し、頭をフラットな状態にすると良い
・あまりガンガン挿入すると、粘膜を傷つける可能性があるので要注意
・SPO2(血中の酸素量)が90台前半以下になった場合はいったん止め、時間をあけて再度吸引。
・痰の色(白や透明はOK、緑がかったものは肺で炎症を起こしている可能性有)や粘り気をチェックし、健康状態の参考に
 
痰の吸引については、手技の習得はさほど難しいものではないものの、嫌がる父に対して無理やりに吸引しないといけないということへの精神的な負担が大きかった。これは家族がやることのデメリットの一つだと思う。でも、吸引しないと場合によっては死に至る危険性もあるので、やらなくてはいけない。いや、そもそも、「やらなくてはいけない」かどうかも疑う余地はあるけれども。。。そこの疑問についてはまた今度、ゆっくり書くとして、とにかく、毎回「ごめんね」「嫌だよね」「しんどいよね」と謝りながら、痰を吸引しなければならない。できればやりたくないことの1つが痰の吸引だった。おそらく在宅介護で痰の吸引をされている家族の方は、みなさん多かれ少なかれ、同様のジレンマを抱えているのではないかと思う。
 
精神的な負担はあるものの、一応痰の吸引もできるようになったので、これでまた退院に向けての準備を一つクリアすることとなる。
 
 
 

退院に向けて(経鼻栄養の注入について学ぶ)

父は嚥下訓練により嚥下機能も回復してきたが、それでも3食すべてを口から栄養摂取できる程には至らず、口から食べられるのはゼリーやアイスクリームなど、お楽しみ程度のものにとどまる。そのため基本的には1日3食、経鼻栄養の注入を行わなければならない。
 
退院後は、注入も家族が行うため、その手順について、看護師さんより指導を受け、退院までの期間、毎日練習を行った。注入の主な流れはこのような感じ。
 
1.注入前
・ギャッチアップ
 (身体を45度程起こす)
・口腔ケア
 (口の中の唾液や痰を取り除くため、舌の上や歯を磨く)
・チューブが胃まで届いているか確認
 (シリンジで少し空気を入れ、聴診器で胃の音を確認)
・シリンジで白湯+ナトリウム(塩)を入れる。
 (注入する栄養にはナトリウムが含まれていないため別途注入)
・栄養剤をよく振り(振らないと滴下が止まることも)容器に移す
・注入スタート(父の場合は250mlを約3時間かけて注入)
 

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シリンジで白湯を入れる練習
 
注入するのはエネーボ配合経腸用液(バニラ味)
直接胃に届くので、味は関係ないけれども、甘くて良い香り。
 

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2.注入中
・時々滴下のチェック
・注入中に喉がゴロゴロいい始めたら、注入を一旦止めて痰を吸引
 
3.注入後
・シリンジでチューブに白湯を流す(チューブをクリアにするため)
・プラスティック容器の場合は、使用後に容器を水洗いする
 
病院では1日3回、7:00 / 12:00 / 17:00スタートで注入を行っていた。自宅の場合もほぼ同じくらいの時間帯に注入をしているものの、間隔をあけずに、2缶分をいっきに入れ、流し続けても良いのだそう。
 
ただし、注入のスピードは一定で。父のように体力のない老人等の場合は、注入のスピードが速すぎると下痢をおこしやすいそうだ。
 
最初はシリンジの使い方一つとっても、不慣れで、あぶなっかしい感じだったものの、回を重ねるごとに要領を得て、スムーズにできるようになってきた。反復練習あるのみ。

退院に向けて

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季節は変わり、桜から新緑へ

 
いよいよ父の退院の目途がたってきた。入院当初はもうこの病院で命をとげるのではないかと、みんなが思っていたものの、肺炎もおさまり、栄養状態も良くなり、父は着実に回復することができた。ようやく父も住み慣れた我が家に帰ることができる。また父の病棟は小児科病棟と共有であったため、小さい子どもの面会は禁止されていて、入院期間中は父の孫にあたる、1才になったばかりの私の娘を父に会わせることができなかったが、これからは孫とともに自宅でゆっくり過ごすことができる。誰もが待ち望んでいたことだ。
 
しかし、同時に、父の介護・看護についての不安も出てくる。父は1年ちょっと前に施設に入所し、その後肺炎を患い、施設→病院へと移動した。施設に入る前の父はまだ歩くことも、食事をすることもできていたので、今の全介助が必要な寝たきりの父の介護・看護は私たちにとっても初めての経験。
 
・様々な医療行為を私たち家族はきちんとできるだろうか?
・環境の変化に父は適応できるだろうか?
・様態が急変した時にパニックにならず対処できるだろうか?
などなど私たちの中の不安はつきなかった。
 
今回入院した病院では、もちろん自宅で行う医療行為についても、きちんとマンツーマンで手技の指導をしてくださった。私たちが病院で学んだことは主に以下の4つ。
 
・経鼻栄養の注入
・痰の吸引
・口腔ケア
・おむつ交換や清拭
 
入院の目途がたってからの2週間程は、それぞれを実施する時間にあわせて私たちが病院に行き、看護師の指導のもと実際に練習させていただいた。ただでさえ忙しいのに、素人の私たちに手とり足とり丁寧に指導してくださる看護師さんの忍耐強さには頭がさがる。これらの手技については、以下のような流れで練習をした。 
 
・看護師さんのお手本を見る&動画を撮る(もちろん許可を得て)
・帰宅後、動画をみながら復習する
・重要ポイントはノートにメモ
・次の日、実際にやってみる
・看護師さんからの指摘事項やアドバイスをノートにメモ
・次の日、再チャレンジ
 
最初は右も左も分からず、オロオロしていた私たちも、回数をこなすことで、こうした主義も自然に身についていった。やっぱり学習って反復練習が大切だなと実感。
 
自宅で介護にあたることは、もちろん肉体的にも精神的にも負担は大きいけれども、こうした医療行為も覚え、実践し、慣れていくことで、要領も得てくる。また帰宅後もヘルパーさん、訪問看護士や医師など、介護分野のプロの方がともに伴走してくださるので、あまり不安になりすぎる必要もないと、後から振り返ると思える。
 
それぞれの手技についての詳細は、また後日!

誤嚥性肺炎(嚥下訓練)

認知症になってからの父は最初に数(時間や金額)が分からなくなり、だんだん分からない状態への不安から苛々することが増えてきた。そして次第に物の名前も出ずらくなり、言いたいこともうまく伝えることができなくなってきた。プライドの高い父は、うまく話せない自分への自己嫌悪とともに、そんな自分のことを他人は馬鹿にしているのではないかとの被害妄想をも抱くようになり、常に不機嫌もしくは無感情というような状態になってきた。
 
こうした状況ゆえ、自発的なコミュニケーションの機会は減り、だんだん言葉数が少なくなり、こちらの問いかけにへの反応も薄くなってきた。最終的にはYes / Noの質問に対しても、首を振るなどの反応もない。唯一の反応は痛い時、苦しい時、不安な時などに目で訴えることくらい。
 
さらに、食事についても、うまく咀嚼できず、むせることが増え、1年足らずの間に、きざみ食→とろみ食→ペースト食と食事形態もいっきに変化していった。また口腔内の衛生状態が悪かったのか、歯がどんどん抜けていったことも、咀嚼力が弱くなった一因かもしれない。
 
そんなこんなで、「話す力」「食べる力」の両方を失った父は、入院当初は経口摂取は不可能と診られていたが、入院中の言語聴覚士の先生による地道な嚥下訓練のおかげで、なんとペースト食を食べられるまで復活したのだ!
 
嚥下訓練といっても、意思疎通ができない父は、指示されたことを行うということができない。そのため言語聴覚士の先生主導で以下のような訓練が毎日行われていた。
 
1.口の周りのマッサージ
2.首や顔を動かす訓練
この2つによって、咀嚼や嚥下に必要な筋肉に刺激を与えることで、拘縮を防ぐことができるのだそう。
 
3.氷水による刺激
冷たい刺激によって嚥下反射を惹起することができるらしい。
 
4.飲み込む演習
ゼリー→とろみのついた飲物→ペースト食というふうに口に入れるものの形状も変わっていった。
 

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これはアイソトニックゼリーという嚥下が困難な方向けの水分補給ゼリーを使って

飲み込む訓練を行っているところ。

 

そして言語聴覚士の先生から教えてもらった嚥下訓練を行う上で大切なこと。
 
1.とろみはマスト
普通のさらっとした水の場合、口に含んで、ごくんとして、食道に行くまでの時間はあっという間。嚥下機能が低下している方の場合、嚥下機能が働く前に水が流れてしまい、誤嚥につながりやすいので、必ずとろみをつけること。
 
2.のませる量はきもち多め
誤嚥することを恐れるばっかりに、口に含ませる量を少量に抑えてしまいそうだが口に入る量が少なすぎると、「食べ物・飲み物が来た」という指令がでずらく、嚥下機能が惹起されない。なので、与える量としてはテーブルスプーン1杯程度がベター。逆に量が多すぎると、飲み込み漏れが出て、喉にたまり、これまた誤嚥につながる可能性があるので、これまた要注意。
  
やはり、繰り返しの訓練にまさるものは無いのだな。当初はもう経口摂取は不可と思われていた父も、病院のペースト食を完食するまで回復したのだから、 日々の積み重ねって本当に大切だと実感する。そして、やはり人間(動物)は口から食物を摂取するものなのだと再認識する。QOLという観点からも、経口摂取を可能にすることの意味はとても大きいと思う。
 
あと、こうした嚥下訓練は全て自宅でもできること。私たちはこうしたリハビリの様子も写真や動画で記録しながら、分からないことがあれば質問し、ノートもとっていった。医師や看護師との会話も含め、会話の内容を一言一句覚えることはできない。なので、こうした医療従事者からの説明や助言等はきちんと記録として残しておいた方が良い。在宅介護をする/しないに関わらず。
 
 

誤嚥性肺炎(治療)

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入院期間中、肺炎と膿胸の治療を行うこととなった。
 
●肺炎治療
入院してから肺炎治療のために抗生剤の点滴を行っていたものの、1週間弱でまた高熱が出て、肺炎をぶりかえしてしまった。誤嚥性肺炎の場合、いくら抗生剤で肺の炎症を抑えられたとしても、その間も唾液や痰の誤嚥の可能性がある。誤嚥した場合、唾液や痰が肺にいくことで、また肺に炎症が起こってしまう。こうしたことはよくあることのようだ。そんなこんなで、治療もまたゼロからの仕切り直しとなった。
 
ここで問題なのは、栄養状態。点滴は最低限の栄養しか摂取できないため、肺炎の治療をしきりなおすにあたって、点滴だけでは体がもたないようだ。より高い栄養をとるためには、前述の経管栄養(鼻からチューブor胃ろう)という選択肢を考えざるをえなくなった。
 
看取り専門の病院であれば、もう大がかりな治療はせず、命を終えるまで待つという選択肢もありうる。けれども、父が入院した病院は急性期病院( 急性疾患または重症患者の治療を24時間体制で行なう病院)のため、治療することが第一の目的。そのため治療を遂行するためには、その治療に耐えうる栄養状態を維持する必要がある。
 
そこで、私たちは治療という観点から栄養摂取が必要だと判断した医師に従うことにした。その結果、鼻からチューブを入れ、栄養を直接に胃に注入することとなった。チューブで栄養を入れることで、月単位で寿命が延びる可能性があるとのことだったが、この時は延命云々という観点ではなく、まず今患っている肺炎を完治するために必要なことはすべきだということで、鼻からのチューブに同意したのだ。
 
入院当初は酸素の値もひくく、最初の1週間は酸素マスクが不可欠な状態であったものの、次第に呼吸も安定し、マスク→チューブとなり、最終的には酸素がなくても自力で十分呼吸ができるようになった。時々、38度を超える発熱があったりしたものの(熱が出ている時は誤嚥をしている可能性大だそう)、看護師による痰の頻回吸引のおかげか、発熱が長く続くことはなく、平熱→時々発熱→平熱の繰り返しだった。
 
●膿胸治療
父は肺の炎症と膿胸(肺の周りに膿が溜まる状態)とがあった。入院当初より肺炎の治療としては抗生剤の投与とさらなる誤嚥を防ぐための痰の頻回吸引が行われていた。膿胸についてはかなりの量の膿が溜まっているようで治療する必要があるものの、 父の体力等を考えると、ドレナージという胸膜腔にチューブを挿入し膿を出す治療の負担やリスクもあり、医師も膿胸治療をするか否か悩んでいるということだった。治療をするか否かは父の状況をみつつ、最終判断は医師に任せることにした。
 
結果、ドレナージを実施し、数週間かけて2リットル近い膿を排出した。2リットルもの水分が貯まっていたなんて、想像するだけでも、苦しくなる。。。
 
これが膿を排出するマシーン。少しずつ圧をかけて吸引していく。
 

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でも、膿をきちんと排出できたこともあってか、この治療の目途がたった後は、退院も現実味をおびてきた。
 
肺炎と膿胸をきちんと治療できたこと、経鼻栄養を通し体力がついてきたことによって、言語聴覚師による嚥下訓練のリハビリも効果が出てくるようになる。入院当初は間近に迫りつつある死を意識せざるをない毎日だったのが、嘘のようだった。現代の医療と24時間体制でケアしてくださる看護師の存在の賜物だ。そんなこんなで2ヶ月に及ぶ治療を無事終えることとなる。

延命措置について

 

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入院当初、医師からは、父の状態は老衰の末期で、状態としては非常に厳しい。もって数か月程度と告げられ、私たち家族は大きなショックを受けた。肺炎の状態もさることながら、自力で食べることができない=老衰の末期状態であり、命が終わる時期が近づいているということなのだと言われる。


入院時に延命措置を希望するか否かについて意思決定する必要があったが、医師の言葉を受け、家族の間では延命措置は希望しないという結論に至った。また口から栄養摂取をすることができない父に対して、今後経鼻チューブや胃ろうなどによる栄養摂取も希望しない旨を伝えた。延命措置をしない、栄養摂取をしないというと、父を見殺しにする何とも残酷な選択じゃないかと思うかもしれない。でも私たちなりに悩みに悩んで出した結論だった。
 

延命措置を希望するか否かに正しい答えはない。残りの人生を太く短く生きるか、細く長く生きるか、それは人それぞれの価値観や哲学によるものだからだ。もちろん私たちだって、できることなら1日でも長く父との時間を過ごしたいし、長生きして欲しいと思っている。でもそれは私たちのエゴなのかもしれないと思うようになった。
 

延命措置として心臓マッサージをすることで、肋骨が折れることもあるそうだ。治療の結果、元気だった頃の父に戻れるのであれば、もちろん何とか延命し、より長生きしてほしいと思う。でも、もう認知症が治るわけでも、寝たきり状態から起き上がることができるわけでも、食事を楽しむことができるわけでもない。そんな状態にあって、これ以上痛い思いや苦痛を強いてまで、生きながらえることを果たして父は望むだろうか?
 

口からの栄養摂取が困難な場合、経鼻チューブや胃ろうなどによる栄養摂取も可能である。父の場合も、鼻から管をいれたり、胃に穴をあけて無理やり栄養を摂取することで、栄養状態が維持され生きながらえることはできる。でも、そん風に体をチューブでつながれた不自然な状態で、無理やり「生かされている」状態で、父は幸せだろうか?
 

そんな疑問が私たちの頭の中をグルグルと周り続けた。本当に答えの出ない問いだ。父はもはや言葉を発することができず、自分の思いや意思を伝えることはできない。でも苦しい時、痛い時は、ぎゅっと眉間にしわをよせる。その表情を見ていると、「もうやめてくれ」と言っているようにしか見えない。私たちがどうしたいかではなく、父ならどうしたいかという視点で考えると、自ずと答えは出てきた。父はそんな延命措置なんて望まないだろう。

これが私たち家族が出した結論だった。

 

 

誤嚥性肺炎(発症から入院まで)

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写真はちょうど父が入院した頃に撮ったもの。

 

施設に入っていた父が入院することになったのは、誤嚥性肺炎を患ったためである。

 

誤嚥性肺炎とは、食べ物や飲み物、唾液等をゴクンと飲みこむ動作(嚥下機能)が低下することで、本来食道から胃に送られるはずの物が気管に入ってしまい、その結果細菌が肺に入ってしまうことで起こる肺炎のこと。高齢者の肺炎の半数以上が誤嚥性肺炎と言われていて、誰にでも起こりうる疾患のようだ。

 

加齢にともない、歯が抜けることによる咀嚼力の低下、嚥下にかかわる周辺の筋力の衰えなどによって、嚥下機能の低下は誰にでも起こることのようだけれども、特に認知症を患う人は、次第に食べる量が減り食べなくなったり、食べ物を認知できなくなるようで、そういったこともあり嚥下障がいを起こすリスクは高いようだ。

 

父の場合も今年の3月末より10日程、咳、発熱に加え、喉がゴロゴロなるようになり、痰の量が増えていて、施設の方も、症状から察するにおそらく誤嚥性肺炎ではないかと仰っていた。そのため病院で検査をしてもらったところ、レントゲンにうつる片方の肺が真っ白だった。誤嚥性肺炎の可能性が高いことが判明し、即入院となった。

 

思い返すと、施設に入る前は、自宅で普通のご飯(少し柔らかめの物)を食べていたものの、施設に入ってからは、食べるとむせるということが増え、次第に刻み食→とろみ食に代わり、年明け以降はほぼペースト食(全てがスムージーのような形状)になっていた。なので、嚥下機能は徐々に低下し、飲み込むことが困難な状態になっていたのだと思われる。

 

また父が入っていた施設は医療行為は一切できない施設であったため、痰が増えても吸引することはできないし、むせるからといって栄養を口以外から摂取(経鼻チューブや胃ろうによる栄養摂取)することもできないため、結局誤嚥していることが分かっていても、口から食べさせるより他なかったそうだ。おそらくこうしたことのつみ重ねによって、誤嚥を繰り返し、肺炎を発症するに至ったのだと思われる。

 

そんなこんなで4月の初旬に、総合病院に入院し、肺炎の治療を開始することとなった。

 

 

はじめに

 

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写真はちょうど父が入院した頃に撮ったもの。

 

父は83才。アルツハイマー認知症を患い、現在は要介護5の寝たきりの状態。

 

認知症発症後も自宅で介護にあたっていたものの、しだいに家族の負担も増し、1年4ヶ月前に施設に入所するも、4ヶ月前に誤嚥性肺炎のため、入院。主治医からは老衰の末期状態で、もうながくないと伝えられる。

 

肺炎治療後の選択肢として、看取り専門の病院への転院を提示されるも、最期は住み慣れた自宅で、家族とともにゆっくり過ごしたいとの私たちの強い思いから、自宅での看取りを希望する。

 

そんなこんなで、2ヶ月の入院期間を経て、家族での父の介護・看護生活がスタート。施設に入る前は、歩くことも、自力で食べることもできていた父。今では身体を動かすこともできず、全ての行動において介助が必要な状況。いわゆる寝たきりの父の介護は私たちにとっても初めての経験。

 

医師、看護師、ケアーマネージャーさん、ヘルパーさん、その他様々方のサポートのおかげで、私たちも日々学びながら、介護にあたっている。

 

この超高齢化社会において、高齢者福祉をめぐる状況は増々厳しいものとなり、国も在宅介護を勧める方向に向かう中、きっと私たちのように何も分からず、介護にあたらなければならない人が今後増えてくるはず。

 

少しでも私たちの経験や私たちが得た知識を、同様の状況にある方々にシェアし、役に立てればという思いで、ブログをはじめることに。

 

笑いあり、涙あり(?)な母と3人の娘による介護生活を紹介していきたいなと思う。