認知症の父の在宅介護記録

アルツハイマー型認知症(要介護5)を患う父の在宅介護の記録

延命措置について

 

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入院当初、医師からは、父の状態は老衰の末期で、状態としては非常に厳しい。もって数か月程度と告げられ、私たち家族は大きなショックを受けた。肺炎の状態もさることながら、自力で食べることができない=老衰の末期状態であり、命が終わる時期が近づいているということなのだと言われる。


入院時に延命措置を希望するか否かについて意思決定する必要があったが、医師の言葉を受け、家族の間では延命措置は希望しないという結論に至った。また口から栄養摂取をすることができない父に対して、今後経鼻チューブや胃ろうなどによる栄養摂取も希望しない旨を伝えた。延命措置をしない、栄養摂取をしないというと、父を見殺しにする何とも残酷な選択じゃないかと思うかもしれない。でも私たちなりに悩みに悩んで出した結論だった。
 

延命措置を希望するか否かに正しい答えはない。残りの人生を太く短く生きるか、細く長く生きるか、それは人それぞれの価値観や哲学によるものだからだ。もちろん私たちだって、できることなら1日でも長く父との時間を過ごしたいし、長生きして欲しいと思っている。でもそれは私たちのエゴなのかもしれないと思うようになった。
 

延命措置として心臓マッサージをすることで、肋骨が折れることもあるそうだ。治療の結果、元気だった頃の父に戻れるのであれば、もちろん何とか延命し、より長生きしてほしいと思う。でも、もう認知症が治るわけでも、寝たきり状態から起き上がることができるわけでも、食事を楽しむことができるわけでもない。そんな状態にあって、これ以上痛い思いや苦痛を強いてまで、生きながらえることを果たして父は望むだろうか?
 

口からの栄養摂取が困難な場合、経鼻チューブや胃ろうなどによる栄養摂取も可能である。父の場合も、鼻から管をいれたり、胃に穴をあけて無理やり栄養を摂取することで、栄養状態が維持され生きながらえることはできる。でも、そん風に体をチューブでつながれた不自然な状態で、無理やり「生かされている」状態で、父は幸せだろうか?
 

そんな疑問が私たちの頭の中をグルグルと周り続けた。本当に答えの出ない問いだ。父はもはや言葉を発することができず、自分の思いや意思を伝えることはできない。でも苦しい時、痛い時は、ぎゅっと眉間にしわをよせる。その表情を見ていると、「もうやめてくれ」と言っているようにしか見えない。私たちがどうしたいかではなく、父ならどうしたいかという視点で考えると、自ずと答えは出てきた。父はそんな延命措置なんて望まないだろう。

これが私たち家族が出した結論だった。