認知症の父の在宅介護記録

アルツハイマー型認知症(要介護5)を患う父の在宅介護の記録

患者や家族に寄り添うことの大切さ

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父の命がもう長くないということをはじめて知ったのは、3月末に施設で体調をこわした時のことだった。

 

咳と微熱が数日続いていたのだが、施設の職員の1人が、父もいる部屋の中でおもむろに「で、看取りはどうされますか」と母と姉に尋ねてきたらしい。単に体調を少し壊している程度だと思っていた母と姉は、何のことを話しているのか全く理解できず、目が点になったようだ。
 
この時点で父は医師の診察は受けていなかったが、施設職員から施設の運営母体であるクリニックの医師に対し病状の説明はなされており、医師から薬の処方はされていたそうだ。施設の職員としては、父の状況からおそらく誤嚥性肺炎であろうという見立てがあったのだと思われる。
 
だが、この看取りに関する質問をされた際、私たちにはまだ父がどういう状況なのか、職員からも医師からもきちんと説明がなされていなかった。そんな状況でいきなり看取りをどうするかと尋ねてきた職員の態度に、私たちが不信感を抱いてしまったのは当然のことだ。
 
本来であれば
1.現在の病状に関する説明
2.治療に関する今後の見通し
3.看取りに関するオプションの検討
という三段階で、話をすべきなのに、この1と2をすっ飛ばして、いきなり3についてふられたのだから、そりゃビックリする。
 
さらにその時、「まあ、もう治療をしたところでねえ。。。」と暗にもうこのまま楽にさせてあげようと言われたそうだ。この言葉が私たちの不信感をさらに強めたのは言うまでもない。
 
日々、高齢者のお世話をされている施設の方にとっては、入所者の死というのは日常茶飯のことだろう。彼らにとって父の死は、日々直面する数多くの死の一つに過ぎない。でも、私たちにとっては唯一無二の家族の死である。この応対はあまりにも無神経ではないかと、私たちは少なからず怒りを感じた。
 
こうした気分を害するコミュニケーションがあったこともあり、私たちはちゃんとした医療施設で父の治療をしたいと思うようになり、施設の方がしぶっていた受診を強くお願いし、入院するに至ったのである。
 
だけれども、結局クリニックの医師も、入院先の医師も、ほぼ同様のことを言っていた。
 
・口から食べることができない=寿命がつきる時期にきている
・こういう状態にある高齢者に対して治療を施すことはどうなのか?
・チューブに繋がれ無理やり生かされることが本人のためになるのか?
こうしたことを、やんわりと言われた。
 
今振り返ってみると、あの時のあの施設の職員の方の言葉は、間違ってはいなかったと思う。でももう少し私たち家族に対する配慮がある言葉で語られていたら、私たちは、「施設で看取りまでお願いします」と答えていたかもしれない。いや多分、そう答えていたと思う。
 
この間、2ヶ月間の苦痛を伴う治療の過程で、私たちは何度も何度も、「これで良かったのだろうか?」「あの時の決断は正しかったのだろうか?」という問いを自身に投げかけ続けていた。今もそうだ。そしてその答えは分からないままだ。
 
だけれども、どういう選択を取ったかということは別にして、施設の方々にお願いしたい。入所者の命をぞんざいに扱わないで欲しいし、家族の気持ちに寄り添う対応をして欲しいと。
 
介護施設という現場は時に入所者によるハラスメントや暴力も起こり、とても過酷な労働環境であるということも、施設職員の仕事が心身ともにとてもきつい重労働であることも理解しているつもりだ。でもそれとこれとは別で、命を終える時を迎えるということは、入所者・家族双方にとって、とても重要な意味をもつということを心に留めて、接して欲しいと強く強く思う。
 
最期の時をみんなが納得し、後悔なく過ごすことができるように。