認知症の父の在宅介護記録

アルツハイマー型認知症(要介護5)を患う父の在宅介護の記録

胃ろうという選択

父が退院して間もなく2ヶ月、経鼻栄養をはじめて4ヶ月程が経とうとしていたこの夏。胃ろうという選択肢について考える段階がきた。
 
胃ろうとは、食事をとることがができない場合、誤嚥する危険性のある場合など、何等かの理由で口から栄養摂取ができない方に、おなかに穴を開け、そこから直接胃に栄養を投与すること。
 
もともと私は高齢者の胃ろうに対してはネガティブなイメージしかなかった。もちろん、経口での栄養摂取が不可能な方でも若い方であれば、胃ろうを作り胃に直接栄養を注入する意味はあると思う。栄養摂取が問題なだけで、それさえできれば、元気に活動できる方の場合、胃ろうは一つの有効な選択肢になるからだ。
 
だが父のように80過ぎて、認知症を患い、肺炎を繰り返し、どう手をほどこしても元気な状態に戻ることの無い高齢者の場合、延命だけのために無理やり栄養を注入するようなやり方が果たして終末期のあるべき姿なのか?という疑問があり、強い抵抗感を感じていたからだ。実際、欧米ではこうした高齢者への延命措置は非倫理的であるとされており、こうした延命措置をとらないのが一般的なようだが、その感覚はもっともだと思う。
 
だけれども、こうした思いに反し、その時々の父の病状の変化により、本来希望していなかったオプションを選択せざるをえない状況を迎える。
 
もともと父が入院した時は、もって1ヶ月の命を言われており、経鼻栄養や胃ろう等は希望しないと医師にも伝えてきた。だが肺炎の治療が思いの他長引き、治療を継続するためには、点滴だけでの栄養摂取には限界があった。治療にたえうる体力を維持するためには、経鼻栄養という選択をせざるを無くなった。
 
また肺炎の治療をしたところで、もって2, 3ヶ月、夏は越せないだろうと言われていた父も、自宅に帰ってきてから調子が良くなり、酷暑の夏も何とか乗り越えることができた。経鼻栄養の管を入れた4月からもう4ヶ月が経とうとしていた。鼻から胃までチューブが通っている状況は、不快感極まりないし、チューブの交換も苦痛が伴う。
 
そんな状況ゆえ、医師からも胃ろうという選択肢を提示されることとなった。
 
経鼻栄養と胃瘻ろう。この2種類のメリット・デメリットについて調べたし、医師や看護師、ヘルパーさんにも、意見を聞いた。以前入院していた病院の主治医にもセカンドオピニオンをうかがった。それを踏まえ、父の場合、胃ろうにするデメリット以上に、胃ろうにするメリットの方が大きいため、胃ろうを作る決断をした。
 
父に関して、経鼻栄養を続けること&胃ろうにすることのメリット・デメリットはこちら。

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入院当初は、鼻から栄養を入れるなんて、胃ろうを作って直接胃に栄養を入れるなんて、自然に反することだし、そこまでして「生かされる」ことを父が喜ぶはずないという思いから、断固反対だった。でも状況が変われば、気持ちも変化するし、最終的な決断にも影響を与える。
 
経鼻栄養を始めた頃は、経鼻栄養をこんなに長くするとはだれも思っていなかった。だけれども、父は今生きている。そして生きている限り、栄養を与えず餓死させるわけにはいかない(そもそも口から栄養がとれない=老衰の末期状態に対し、栄養を与えることが是か非か、この点は議論の余地があるが)。であるなら、より負担の少ない形で栄養を与えるべきであり、今目の前にある経鼻栄養と胃ろうという2つの選択肢を比較すると、胃ろうがベターであるということになった。
 
私たちが下した「胃ろうをする」という選択が良かったのかどうかは分からない。さらにいうと、良い・悪いという評価をすること自体がナンセンスなのかもしれない。ただ言えることは、今正しいと思っている選択も、来週にはそうではなくなることもあるということ。患者の病状や家族の状況は日々変化する。その中で、その時々で、よりベターだと思われる選択をするしかないのだ。だから、絶対的な選択肢というのは存在しないのだと思う。そこが介護の難しさでもあり、無力さを感じてしまう一因なのかもしれない。
 
でも選択しないという選択肢はない。常に、私たちは父の命に関する選択をし続けなければならないのだ。